連載
二宮忠八創建。京都八幡の飛行神社で、本邦航空文化の芽吹きを感じた日

日本流の航空文化を創った飛行神社
ところで、飛行神社は現在は、奉賛会からの寄付によって成り立っている。現在は120を超える個人、企業、団体が名を連ねているが、どのような想いで飛行神社を支えているのだろうか。現在、その会長を務める朝日航空 代表取締役社長の庄島広孝さんは、「第一には安全をお祈りしたい気持ちです。航空機の安全は神頼みではなく、我々従事するものがやるべきことをしっかりやることが大切です。ただ、例えば天気のように、どんなにしっかりやっても我々の力が及ばない領域もあります。飛行神社は、安全を祈るという気持ちを常に持っていくための心の拠り所ではないかと思っています」と話す。
毎年、新年には個人・企業を問わず信念の祈願があり、新年度を前にこれから航空業界で従事する新社会人の参拝。その後は就職、合格のエントリーの時期に合わせた合格祈願など、1年を通じて航空関係者あるいは航空業界を目指す人が参拝する。また、ドラマの影響などもあり、近年は海外からの参拝者も多いという。
では、さらに遡って二宮忠八はどのような想いで、この飛行神社を創建したのだろうか。二宮忠八は「カラス型飛行器」の完成後、有人飛行を想定した玉虫型飛行器を考案、設計。製作に向けて取り組んでいたところにライト兄弟の初飛行のニュースに接し、その製作を断念したと伝えられる。その後、飛行機が普及し始めた一方で、飛行機による犠牲者が増えたことに心を痛め、その霊を鎮めるために神職となり、自ら創建したのが飛行神社である。






飛行神社には資料館が併設されており、二宮忠八、そして飛行神社にまつわる品々が展示されている。そこには飛行器の模型や資料の展示、そして飛行神社に祭られている航空黎明期の殉難者が紹介されている。初期は日本人のみだったが、昭和40年代に外国の殉難者も祭るようになり、先述のとおり「空は一つ」を現すべく1989年に神殿風の拝殿が建てられた。
二宮忠八の科学的業績についてはさまざまな意見があるが、世界にとってもまだまだ航空黎明期といえた20世紀の初めに、その殉難者を神道の教えに従って神様として祭る神社を創建したというのは、大きな業績ではないだろうか。

飛行神社は宗教色の強い神社ではないし、筆者自身も信心深い人間ではないのだが、それでも日本で生まれ育った身としては、どこか神道的な“神様”という存在に畏敬の念がある。欧米文化が強い航空業界において、日本ならではの航空文化が生まれ、それがいまも航空関係者を引きつけている。なんとなく誇らしい気持ちにもなる。
今回、宮司の友田さん、奉賛会会長の庄島さんに話を聞いたのだが、飛行神社の話題に留まらず、航空業界の人手不足事情から、果ては未来を担う子供たちへと話が広がり、その取材は2時間以上にわたった。いまも航空業界に対する熱い想いを持った人が飛行神社を守り、支えているのだ。

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