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東日本大震災から仙台空港が再起した3月16日 ー2011年の記録からー
2011年3月11日の東日本大震災。津波に飲み込まれ被災した仙台空港に再び固定翼機が降り立ったのが、3月16日のことであった。あれから13年、当時の記録を振り返る。
仙台空港に押し寄せた濁流
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
津波が押し寄せる仙台空港を捉えた空撮映像は、今もこの大震災の衝撃的な記録のひとつとして脳裏に焼き付いて離れない。震災時、ターミナルビルには旅客や空港職員、近隣住民など約1,400人が避難していた。その施設を容赦なく高さ3メートルの濁流が飲み込み、人々は3階や屋上などの上層階に避難してその後、数日間を過ごすことになった。空港に駐機していた小型機たちも多くが流されてしまった。その後の月刊エアラインの様々な取材時にも、「あのとき仙台空港で勤務していて、車が流されてしまった」という航空関係者の回想を、筆者は何度か聞いたことがある。
この場にいた皆さんにとって、まさに、“命からがら”の体験であったはずだ。
空港再開、救援活動と復興の拠点に
仙台空港のターミナルビルでは、水が引き始めた同3月13日午後から自衛隊による救助活動が始まり、16日に全員の退館が完了。この3月16日には全長3,000メートルのB滑走路(RWY09/27)のうち1,500メートルが使用可能となったことで、震災後初の固定翼機としてアメリカ空軍のMC-130HコンバットタロンⅡが降り立っている。短距離離着陸性能に優れたC-130ハーキュリーズ戦術輸送機の特殊作戦型である。このあと米軍による救援作戦「オペレーション・トモダチ」の拠点として復旧を急ぎ、20日からは大型のC-17グローブマスターⅢで、東京・横田基地との間で物資空輸が開始された。
民間空港としての機能が戻ったのは、震災から約1か月後の4月13日で、JALとANAが臨時便として仙台路線を復活させた。機材はともに737-800を使用し、JALからは「がんばろう日本」のメッセージを記したJA302Jが、ANAからは「心をひとつに、がんばろうニッポン」のJA55ANが、それぞれ初便に投入された。仙台空港の航空管制官は、その到着を「Welcome back to Sendai」の言葉で迎えた。